ぼくは重症筋無力症という病気を患っていて、未だ完治はしておらず、恐らく一生この病気と一緒に生きていくのだと思う。
16万人に1人という確率でこの病気にかかるらしく、ぼくはもれなくその一人だ。 20代半ばに病気が発覚して、名古屋の専門の大学病院で9時間にわたる大きな手術を受けた。手術を受けても完治する確率は50%くらいと聞いていたが、母親に背中を押され、手術の道を選んだ。
結果的に、体内の血液に含まれる抗体の量は減ったものの、今でも若干残っている。
好きな著名人の一人である坂本龍一氏が、文芸誌「新潮」の2022年7月号から、自身のガンとの闘いについて連載をスタートさせるというニュースを見て、違う病気で重症度に違いはあるものの ”病人の苦悩" は少なからず理解できるので、なんとなく自分も病気について改めて考えてみようと思ったのだ。
まさか自分が重い病気にかかるとは思ってもいなかったが、よくよく振り返るとその節は若い頃にあった。昨年末から同棲しているパートナーに言われたことでそれに気付き、腑におちた。
というのもぼくは20歳の時に離婚を経験しており、その当時の辛さといったらなかった。毎日胸があんなに締め付けられ、食欲もなく、生気もなくなり、正直鬱どころか、自分のことはもちろん、周りのことや自分の未来のことなんかも考えれる余裕すらなく、仕事から帰ったら真っ暗な部屋でずっと泣き続け、睡眠もろくにできなかった。
そんな状態が1ヶ月以上も続いて、その後色々あって逃げるように地元を離れ東京へ行った。
「時間薬」とはよく言ったもので、何年もの時間が経ってぼくはその時のことを肉体的には忘れていたし、時間がそうさせてくれた。
自分でもあまり考えないようにしていた。
しかし精神的にはどこかそのキズがしっかりと残っていて、その後病気が発覚した。
その時は気付きもしなかったが「病は気から」と、これまたよく言ったもので、まさに自分はそうだったんだと、36歳になって初めて気づいた。
約10年この病気と一緒にいるからある程度は慣れたものの、やはり力が入らない時があったりすると、その自分の情けなさに嫌気がさす。
ありがたいことにぼくの場合はまだ軽度の症状だから良いものの、重度の人の話を聞くと、そのどうしようもない状況に何も言葉が出なくなる。
ほぼ健常者のように暮らせている分、それは幸せなことだとつくづく想う。
病気になって死生観が一変した、なんてことはなかったが、当時に比べ徐々に死生観が変わってきたのは、年齢を重ねたせいか、それとも病気のこともあってなのか。
人生には色んな決断があるが、手術を受けると決断するまでの恐怖をキレイに取り除いてくれたのは、ガンを患って死んだ母親だった。
「手術室に入って麻酔を打たれて、目が覚めた時にはもう終わっとるんやからなんも怖くないよ」なんてちょっと笑いながら言ってくれたのは心強くて、その言葉を聞いて手術を決断した。
結果、全くその通りで麻酔で眠ってるからその時の意識すら何もなくて怖いなんて言ってる暇はひと時もなかった。
今では病気になったものはもう仕方がないとしか言いようがないし、病気にかかって完治もしない以上、病気と生きていくしかない。
嫌なのはもちろんだけど、そちらしか選びようがないから、仕方がない。
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