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「546」年齢の概念

1月の15は自分の誕生日で、今回で34回目になる。誰しもが口を揃えて”あっという間”と言うと思う。ご多分に漏れず、自分も正にその一人だ。

あっという間なんだけど、この3年半というのは着実に成長が見られる。30代になってから価値観がガラッと変わった。「いい加減に気づいた」と言えば一番しっくり来る。

ぼくは気づくまでに30年を要したが、もっと時間を掛けても気づかない人や、反対に幼少期でとっくに気づいてる人だっているだろう。ぼくは遅くもなく早くもない。そう考えると、結構いい感じの歳の取り方をしてるんじゃないかと自分で納得できる。もっと早くに気づきを得たかったけど、そうは行かなかった。ガッツリ寄り道や脇道に外れて、なんだったら違う道を歩いちゃったりした。

どういう34歳を想像していたかというと、そんな想像は一度もしてなかった。30歳とか区切りが良い歳だと、幼少期の頃は結構おじさんに感じてたりしたし、きっと分かりやすく、しっかりとした親になってるんだろうなってじんわり想像してたんだと思う。

いざ34になってみたら、こちとらご多分に漏れず、案外若いとしか言いようがない。世間にはめっちゃふけてる34歳も沢山いるから、まだなんとか若い方なんじゃないかって自分では思っているけど、でもやっぱ20代の奴らと並べられたらバレる。若さってのは唯一、金や地位や権力や名誉なんかじゃ買えない。最強の武器だとしか言いようがない。

ということは、未来の自分より今の自分は常に若い。いつも”今ここ”の状態は常に最年少ということだ。

書いていてふと思ったんだけど「歳を取る」と聞くと、年齢を”重ねた”ということになり、数字を足していく様子や、数字が書いてある積木を一つずつ上に重ねて行っている様子が伺える。だけどこの考え方や感じ方ってある種違っている様に感じる。

まず数字というものは人為的なものにすぎないのだから、存在しないと考える。 そうすると数字が積み重なったり足されたりするというイメージはなくなる。 本質的には歳を”重ねる”ということではない。

人は細胞がどんどん生まれ変わっていき、どんどん古くなっていき、また新しい細胞に生まれ変わって、その生まれ変わる力が弱くなっていっているだけだ。表面的にはそんな感じで、内面的にはそこに経験や知識などが付いて、深みが増していく。それを沢山繰り返しているのだ。その経過を、歳月や年齢と呼ぶ。逆なんだよな。

歳を取ってるから劣化してるんのではなく、劣化が見えてきているから歳を感じる。なんかそんな感じなんだと思う。

ぼくの人生は現在スタート台に向かって歩いている途中で、これからやっとスタートの準備に取り掛かるところだ。全ては年齢じゃない。心持ちだ。

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