結婚とは、夫婦になること。婚姻とは、社会的に承認された夫と妻の結合である。「婚姻」は配偶関係の締結のほか配偶関係の状態をも含めて指している。wikipediaより
というのが非常に大まかな結婚の説明だ。 ただ、歴史的背景を調べたら、宗教的なことも昔はあったらしい。ざっくり掻い摘んで言えば、なんでも貴族や天皇などにより宗教的思想の観点で婚姻するという制度が設けられた様で、庶民には結婚するという概念は昔はなかったらしい。
そもそも、この”制度”は世の中に存在しなかったものなのだ。
それが、現代では、特に女性は30までに結婚しなきゃとか、25までにしたいとか、それが目的化されている。ぼくの前妻もそうだった。当時23とか24くらいだったけど、早く結婚したいと常に言っていた。ぼくは正直今だから言えるけど、結婚するとかしないとか、そんなに重く考えていなかった。でも、自然に結婚するかっていう流れになっていた。
先日、いつもの親友に、そう言えばお前はプロポーズとかしたの?と聞かれ、いやしてないよ、自然な流れやったーな。と言ってみたものの、自然な流れってどんなんだったかな?とふと気になって、思い返してみていた。
まあ、ぼくの細かい内容はいいものの、そもそもなんで好きな者同士、もしくは愛する者同士が一緒にいると、結婚に向かって動いて行くんだろうか?そもそも結婚ってなんなんだ?
今度、GW頃に、心の友が結婚するという報告を受け、それはそれはめでたい事だと思っているんだけど、人の結婚はめでたいと思うものの、自分自身はやっぱり結婚にどうしても重きを置けない。家庭環境は良かった方だから、父や母をみていて嫌気がさしたとかもないし、兄貴達が結婚して上手くやってるのも別になんとも思わない。
しかし、こと自分のことになると、なんか無意味に思えてくる。必ずしもしなければいけないものでもないと思うからだ。
あと結婚以前と以後で変わるのは何か。圧倒的に自分の時間と金が減り、自分以外のことへの労力が半端ないということだ。相手の家族やこっちの家族との行事などなど。もちろん向こうの家族や親族と仲良く出来る様に振る舞ったりとかするし、ある種常識人を装ってそれなりの会話をして諂えるよう努めたり。そう考えると、ぼく的には同棲生活くらいが丁度良い。いや、週に1〜2回泊まりにくる彼女ってのが結構理想なような気もする。NetflixもAmazonプライムも、外食での美味しい食事、ジムや映画観、たまに行く遠出や旅行、突然のアイデアで興奮して親友に電話する時間など、今のぼくにとっては親族に諂える時間より貴重で重要なのだ。
あと引っかかってくるのは「社会的に承認された夫と妻の結合」というところだ。別に社会的に認めらたいなんて思ってない。戸籍、名前、住所などなど、これらはあくまで社会が人々をカテゴライズする為に設けている物であり(本当の意味での住み分けだな)、特別な意味はない。とは言え自分もこの名前でずっとやってきてるから、スパッと切り捨てることは当然簡単にはできないし、これから先も切り離さないとは思うけど、ただ本当の意味での意味は無いことは理解している。
そう考えると、巷で耳にする夫婦別姓なんて、大したことじゃ無い。ぼくは別姓にするのは有り側だ。必ずしも嫁ぐものが姓を変えなきゃならないって、嫁ぐ側になったこと無い人が平然と言うけど、そんな間違った常識を振りかざす相手なら、その結婚は最初からやめておいた方がいいぜ。日本でも早く夫婦別姓は取り入れるべきだ。
じゃあそれでも結婚する理由ってなんなんだろうか?子供を産むからとかは理由にはならない気がする。だって別に結婚しなくても子供は作れるから。
結婚とはつまり、単一の一族になるってことなんだろう。家族という一族になることで、相手の事も自分事になるし、その逆もそう。そうしたい、そうなりたいと強く思う時が本当の婚期なんだろうな。まとめてみると、それだけかな。
てことは、今のぼく個人としては、全くそう思える人もいないし、そういう頭が全く無いから、当分このままでいいとする。
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