ちょっと前に、車を走らせていてふと横目にしたのが、地元にある高校のグラウンドだった。真夏になって思い出すのは、この地元の高校のグラウンドが、ぼくにとって高校サッカー最後の試合があった場所ってことだ。あの感じを今でも思い出す。
小学校3年生からサッカーをやっていて、特に目立った成績もなく、これといって上手くもない。普通にどこにでもいるサッカー少年だった。 最初は1学年上の兄貴の影響で始めたのがキッカケだった。 スポ小の頃は、1つ上の学年に呼んでもらって、たまに試合に出させてもらったりしたくらいだった。
中学校もそのままサッカー部に入って、当時はボランチ(守備的ミッドフィルダー)とかをやっていた。中学校の頃は、同じ学年の上手い奴らは大体スポーツクラブに所属していて、残った奴らが学校のサッカー部に入っている感じだった。当然、中学のサッカー部は弱かった。
それでも高校に上がってからもそのままサッカー部に入った。 初めの頃は結構部員もいて、同じ学年でもなかなか上手い奴らがいた。結構やりがいがあったし、負けてられんなーという気もあって、休みの日とかでも練習したりしたこともあった。でも、1年生なんかは、大体片付けをさせられたり、コートの白線を引いたり、グラウンドの整理ばっかりで、試合があっても副審とかをやらされていた。通っていた高校は、頭が悪いし態度の悪いちょっと不良な奴らが多い高校だったせいもあり、同じ1年でもそういうのが嫌な奴はどんどん辞めていった。停学になって辞めたり、本当今考えたら根性のない奴らだなと思うくらいすんなり辞めて行ったなー。中でも少し仲良くなったケンジって奴も、最初の頃は一緒にサッカーしてたりしたけど、結局途中から不良の道(当時カラーギャングが流行っていた)みたいな方に流れていって、部活を辞めて、結局学校も辞めて行った。
最終的に確か7~8人くらいの1年生が残ってそのまま2年に上がったかな。
高校1年の終わり〜2年の最後の時までが一番楽しかった。なんだかんだずっと続けてきたサッカーで、初めて報われたし、やりがいもあったというか。 1年の頃から休まずずっと通っていたこともあり、監督にその姿勢が認められ始めて、特別運動能力が高くなかったけど、真面目さを買ってもらえ始めた。 3年生の主力メンバーが引退してから、徐々にスタメンに入れてもらえるようになってきて、先輩とかにも可愛がってもらえ始め、少しずつポジションを確立させて来始めた。
その頃から、フォワードをやるようになった。足も速いわけじゃない、背も高くないし、体も細いけど、ぼくはトラップとかパスが比較的上手かったのと、裏への抜け方も少し得意としていた。スピードやパワーが無くても、どうやって自分を生かすかを監督にも教えてもらった。
2年に上がった頃には、スタメンはかなり定着してきて、1トップを任されるようになり、得点力はないものの、コートの前の方でボールをもらい、2列目への落としやサイド攻撃に繋げる起点的な役割を担っていた。 先輩達とも仲良くなって、そうやってコミュニケーションが取れるにつれ、どんどんチームの中に溶け込んで行けた。 そうした中でのサッカーは非常に楽しかったし、みんな一生懸命になって勝つことに向かっていたあの姿勢は、今でもすごい覚えている。
途中、1つ下の学年の生意気な奴が入ってきて、そいつが結構上手くて、少しの間スタメンを取り合ってたけど、結局練習が続かないしサボるし、1年くらいしてから結局そいつも不良の道に流れ、結局辞めてしまったかな。
唯一ぼくが自分を誇れるのは、ほとんど練習をサボったり休んだりしたことはなかった。2年の途中から監督が変わって、新しい監督はさらにそのぼくの姿勢を買ってくれた。そして、情熱を教えてくれた。川岸先生という、平井堅に似ている濃い顔の人で、当時27,8くらいかな、自身も現役でサッカーをしているバリバリのスポーツマンの監督だった。 その先生からは「今頑張らずにいつ頑張るんだ」と、どこかの塾講師が後に言って有名になったフレーズをあの先生は当時から情熱を持って伝えてくれた。
青春は二度と返ってこないぞ、なんてようなことを教えてもらったかな。 その先生がきてから、3年生の先輩でも、中途半端な姿勢の人は辞めて行ったし、チームの士気も上がり始めた気がしている。 そんなにいい成績を残した学校でもチームでもなかったけど、もっと周りのみんなが本気だったらきっと何か変わっていたのは確かだし、スタメンになれたかどうかは分からなかったけど。。
3年生になると、また監督が変わって、今度は新人の24歳くらいの若い先生で、でも強豪校でサッカーをしてただけあって、教えるのは上手かったし練習メニューも今までと一新した。その先生には「お前はもっと強い高校に初めから行ってたら絶対もっと成長したのにな」と言われたのは、嬉しいようで、どこか取り返しのつかない切ないことを言われたのを覚えている。
僕らが3年の頃、引退試合の頃なんかは、最終的に同学年は4人しかいなかった。 2年生からメンバーを召集して、足りなくて1年生もみんなが出ていた。全然士気が高くなかったし、それが試合の途中でも悔しくて悔しくて堪らなかった。最後のサッカーの試合がまさかこんな情けない感じになるなんてって、試合中に嘆いていたのを覚えている。
本当はもっと燃え滾りたかったけど、それが結局叶わなくて、そういう悔しさで最後の試合は涙を流したのを覚えている。負けて泣いた感じではなかった。 それが、地元の高校のグラウンドをみて思い出すぼくの思い出だ。 自力でスタメンを勝ち取ったのは、今でも人生の役に経っているのは確かだ。
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